
猛暑酷暑 ! 健康を守るため深夜労働を廃止せよ!
大江印刷会社争議の勝利と惨敗
1929年の労働争議(読書メモ)
参照・協調会史料(大江印刷株式会社労働争議ニ関スル件)
会社 大江印刷会社株式会社(印刷業)
場所 東京麻布
労働者数 男109名、女6名 計115名
争議参加者 男94名、女3名計97名
労働組合 東京印刷工組合(自由聯合系)
争議発生 1929年7月14日
《勝利した7月の闘い! 猛暑・酷暑! 深夜労働を廃止せよ!》
(酷暑の夏!)
大江印刷工場の労働時間は午前7時30分から午後5時30分であったが、実際には残業を深夜遅くまで強制させるのが当たり前であった。1929年、この年の夏はとりわけ残酷なまでの猛暑・酷暑であり、大江印刷工場の灼熱地獄の現場で朝早くから深夜まで働かされる仲間たちは次々と健康を壊していった。
(「残業は8時迄で打ち切れ! 労働者の健康を守るため深夜労働は廃止しろ」と要求)
1929年7月14日東京印刷工組合は現場の各主任に対し、「この酷暑の中、残業を深夜遅くまで行うのは我々の健康を壊す。残業は午後8時で打ち切ってほしい。それ以後の時間の深夜労働は全面的に廃止してほしい」と切実な声をあげ要求した。
(一斉決起)
労働者はついに立ち上がった。会社からはなんの回答もなかったため、東京印刷工組合員97名(うち女性3名)労働者は、7月18日午後5時10分一斉に工場の動力スイッチを切り、そのまま全員が工場から退場した。
(解決)
会社はあわてて組合に話し合いを求めてきた。翌日7月19日正午、労資間で妥協が成立した。労働者側の勝利的解決だった。
解決条項
一、夜業は事業の性質上どうしても廃止するわけにはいかないが、会社として従業員の保健を充分考慮することを約束する
一、今回の事件に関しては犠牲者(解雇者)は出さない
等
《全面惨敗の8月争議 会社の巻き返し攻撃》
8月28日一人の仲間が不当な理由で解雇された。会社の横暴なやり方に怒った大江印刷労働者120名は午前10時から一斉に機械のスイッチを切りストライキを敢行した。8月29日午前9時より従業員大会を開催し、あくまで要求貫徹のためのストライキ継続を決議した。争議団員は毎日争議団本部に集まり、会社の切り崩しを跳ね返そうと誓いあった。また持久戦を覚悟し争議資金を徴収することも決めた。
要求
一、不当解雇絶対反対
一、解雇手当最低3ヶ月分は支給すること
一、円満退社時は解雇手当は半額とすること
一、臨時雇用の期間は一週間とすること
一、職工員は一ヶ月後に本雇用として直ちに発表すること
一、幼年工・見習い期間を縮小すること
一、夜業は賃金を5割増しとすること
一、犠牲(解雇)者は絶対に出さないこと
一、●●主任、●●門番は排斥すること
昭和4年8月28日
交友会
大江印刷株式会社御中
(会社の強硬姿勢)
9月1日、会社は以下の内容を書留郵便で発送してきた。
一、組合の要求は全面的に拒絶する
二、組合が要求を撤回しない場合は、首謀者5名を解雇する
三、9月3日より工場の就業を開始する。全員に強く出社と就業を促す
四、出社し就業をしない者は、「任意退職」とし、解雇手続きを進める
(労資交渉)
松村社長は、9月2日の労資交渉の場で争議団代表に向かって、「要求を撤回し、すぐに就業するように」と強く迫った。争議団側は要求は全労働者の切実な声であると強硬に主張した。労資交渉は決裂した。
(報告演説会)
東京印刷工組合と争議団は9月2日午後2時より報告演説会を開催し、会社はなんら誠意を示さないので徹底的に闘うと決議した。
(会社8名を新たに解雇)
会社は新たに争議団幹部8名を争議の首謀者だと解雇してきた。これで争議団幹部で解雇された者は9名になった。
(スト破り監視ピケ)
争議団と東京印刷工組合は工場門近くに争議団本部を設立し、スト破り阻止の監視・ピケを強めた。また工場周辺の一般住民向けのビラを配布した。
(警察)
争議団と東京印刷工組合が9月1日に計画した二子多摩川での「ピクニック」と称する示威行動に対し、六本木警察は、当日は震災記念日であり情勢不穏だと争議団責任者を呼び出し中止しろと不当な圧力をかけてきた。しかし、争議団は断固として「ピクニック」を貫徹し示威行動を成功させた。
(会社の総力をあげた切り崩し攻撃)
会社は手段をえらばない争議団切り崩し攻撃に総力をあげてきた。争議団幹部と一般労働者を分裂・分断させる声明文を全労働者の自宅に郵送し、全主任・管理職を総動員し、120名全労働者の自宅にまで押しかけさせ、ひとりづつ切り崩しをしてきた。その結果、19名の脱落者がでてしまった。会社は翌朝その19名を明治神宮付近に集合させ、会社の自動車に乗せてひそかに工場内に運び入れ、そのまま工場内寄宿舎に閉じ込めて泊まり込みで就業させた。
(炊き出し)
東京印刷工組合と争議団は持久戦突入を宣言し、9月3日より全争議団員とその家族に向け炊き出しを始めた。また争議団は、町民向けビラ「親愛なる町民諸君に訴ふ」を工場周辺一帯に撒いた。
(社長の暴言)
9月4日の労使交渉の場で、社長は再び「今回の要求は全従業員の意志ではない。二三の幹部の煽動によるものなのだ。すぐに撤回しろ」と強く争議団代表団に要求した。
(社長に会わせろと押しかける争議団員)
今回の要求が一部の者の煽動だとする社長の発言は、全従業員を侮辱するものだと激怒した争議団員は一斉に工場に押しかけ社長に面会を求める激しい抗議行動となった。これを制止しようとする六本木警察が、ようやくにして次回の労資交渉に一般労働者も交渉委員として出席を認めるよう会社に約束させることでその場はなんとか収まった。
(持久戦体制)
9月6日東京印刷工組合の援助の下、以下の持久戦組織体制を確立した。
一、争議団員家庭訪問隊
一、警備隊
一、争議基金係
一、受付
一、炊き出しなど食料係
一、会計係
一、場内整理係
一、伝令
等々
(スト破り)
社長は相変わらず要求を全面拒絶してきた。争議団を裏切ったスト破りは9月6日に新たに6名、7日更に16名・・と続き、争議団員120名中41名の脱落者、裏切者が生まれた。社長はますます強気になった。
(突如、東京印刷工組合から脱退した争議団)
争議団は9月7日ストライキ全員大会を開き、突然東京印刷工組合と手を切り脱退することを決議した。争議団役員は東京印刷工組合から脱退した翌日には六本木警察署内で覚書に締結した。内容は金銭の代わりに9名の解雇を認めるばかりか争議団側が謝罪し、要求を全面撤回するというみじめな敗北だった。
(惨敗)
9月8日、調停課が所轄六本木警察に出動し、争議団役員と会社の両者を召集した調停の結果、以下の覚書を締結し8月28日以来のストライキは終了した。争議団員は9月10日より一斉に出勤就業した。
覚書
一、従業員は今回の行為に対し遺憾の意を表する
一、会社が発表した9名の被解雇者は今後会社とは一切無関係のこと
一、会社は被解雇者に対して解雇手当として金二千圓也を支給する
一、会社は休業(スト)中各自日給の三分の一を家族への救済金として支給する
一、会社は争議団に対して金一封(77圓)を支給する
一、その他の争議団の要求は撤回する
一、会社は今後従業員の待遇を誠意をもって改善する
会社代表
従業員代表
調停者調停官
以上