ああ与謝野晶子よ!  与謝野晶子よ!  (1927年の『祖国大日帝国と統治者天皇陛下を讃える歌』)

ああ与謝野晶子よ!  与謝野晶子よ!  (1927年の『祖国大日帝国と統治者天皇陛下を讃える歌』)

『山の動く日きたる』与謝野晶子
 山の動く日来る かく云へども人われを信ぜじ 山はしばらく眠りしのみ
 その昔において 山は皆火に燃えて動きしものを されど、そは信ぜずともよし
 人よ、ああ、ただこれを信ぜよ すべて眠りし女(おなご)今ぞ目覚めて動くなる 

 与謝野晶子は、1904年(明治37年)9月、『君死にたまふことなかれ』を『明星』に発表。1911年(明治44年)には史上初の女性文芸誌『青鞜』創刊号に有名な『山の動く日きたる』で始まる詩を寄稿した。

『君死にたまふことなかれ』(1904年9月旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて)
  ああおとうとよ、君を泣く 君死にたまふことなかれ
 末に生まれし君なれば   親のなさけは まさりしも
 親は刃やいばをにぎらせて  人を殺せと をしへ教えしや
 人を殺して死ねよとて  二十四までを そだてしや

 堺の街の あきびとの  旧家をほこる あるじにて
 親の名を継ぐ君なれば  君死にたまふことなかれ
 旅順の城はほろぶとも  ほろびずとても何事ぞ
 君は知らじな、あきびとの  家のおきてに無かりけり

  君死にたまふことなかれ、 すめらみこと皇尊は、戦ひに
 おほみづからは出でまさね  かたみに人の血を流し
 獣の道に死ねよとは、 死ぬるを人のほまれとは、
 大みこころの深ければ もとよりいかで思おぼされむ

  ああおとうとよ、戦ひに 君死にたまふことなかれ
 すぎにし秋を父ぎみに  おくれたまへる母ぎみは、
 なげきの中に いたましく わが子を召され、家を守もり、
 安しときける大御代も  母のしら髪がは まさりぬる。

  暖簾のれんのかげに伏して泣く あえかにわかき新妻を
 君わするるや、思へるや 十月とつきも添はで わかれたる
 少女をとめごころを思ひみよ この世ひとりの君ならで
 ああまた誰をたのむべき  君死にたまふことなかれ。

 与謝野晶子1904年(明治37年)9月のこの『君死にたまふことなかれ』に対して、文芸批評家の大町桂月は「家が大事也、妻が大事也、国は亡びてもよし、商人は戦ふべき義務なしといふは、余りに大胆すぐる言葉」と批判した。晶子は、「桂月様たいさう危険なる思想と仰せられ候へど、当節のやうに死ねよ死ねよと申し候こと、またなにごとにも忠君愛国の文字や、畏おほき教育御勅語などを引きて論ずることの流行は、この方かへつて危険と申すものに候はずや」と非難し、「歌はまことの心を歌うもの」と桂月に真っ向から反論した。

 大逆事件では秋水ら死刑になった十二人に「産屋なる わが枕辺に 白く立つ 大逆囚の 十二の棺」という歌を1911年(明治44年)3月7日に発表している。刑死者の一人大石誠之助は『明星』の同人で関わりも深く、また女性でただ一人死刑となった管野スガは未決在監中に弁護士・平出修に晶子の歌集の差し入れを頼んでいる。1915年(大正4年)、晶子は婦人参政権を唱え、『婦選の歌』を作っている。この歌は山田耕筰作曲で第一回全日本婦選大会において披露された。

 しかし、しかし、1927年には天皇賛歌に至る。

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〔無題〕与謝野晶子(1927年の『祖国大日本帝国と統治者天皇陛下を讃える歌』)

粛として静まり、
皎として清らかなる
昭和二年の正月、
門に松飾無く、
国旗には黒き布を附く。
人は先帝の喪に服して
涙未いまだ乾かざれども、
厚氷その片端の解くる如く
心は既に新しき御代の春に和らぐ
初日うららかなる下に、
草莽の貧女われすらも
襟正し、胸躍らせて読むは、
今上陛下朝見第一日の御勅語。
   ×
世は変る、変る、
新しく健やかに変る、
大きく光りて変る。
世は変る、変る、
偏すること無く変る、
愛と正義の中に変る。
   ×
跪づき、諸手さし延べ、我れも言祝ぐ、
新しき御代の光は国の内外うちとに。
   ×
祖宗宏遠の遺徳、
世界博大の新智を
御身一つに集めさせ給ひ、
仁慈にして英明、
威容巍巍と若やかに、
天つ日を受けて光らせ給ふ陛下、
ああ地は広けれども、何処いづこぞや、
今、かゝる聖天子のましますは。
我等幸ひに東に生れ、
物更に改まる昭和の御代に遇ふ。
世界は如何に動くべき、
国民くにたみは何を望める、
畏きかな、忝なきかな、
斯かる事、陛下ぞ先づ知ろしめす。
   ×
我等は陛下の赤子せきし、
唯だ陛下の尊を知り、
唯だ陛下の徳を学び、
唯だ陛下の御心みこゝろに集まる。
陛下は地上の太陽、
唯だ光もて被おほひ給ふ、
唯だ育み給ふ、
唯だ我等と共に笑み給ふ。
   ×
我等は日本人、
国は小なれども
自ら之れを小とせず、
早く世界を容いるるに慣れたれば。
我等は日本人、
生生せいせいとして常に春なり、
まして今、
華やかに若き陛下まします。
   ×
争ひは無し、今日の心に、
事に勤労いそしむ者は
皆自らの力を楽み、
勝たんとしつる者は
内なる野人の心を恥ぢ、
物に乏しき者は
自らの怠りを責め、
足る者は他に分ち、
強きは救はんことを思ふ。
あはれ清し、正月元日、
争ひは無し、今日の心に。
   ×
眠りつるは覚めよ、
怠たゆみつるは引き緊まれ、
乱れつるは正せ、
逸それつるは本に復かへれ。
他ひとの国には他ひとの振、
己が国には己が振。
改まるべき日は来る、
夜よは明けんとす、東ひんがしに。
   ×
我等が行くべき方は
陛下今指さし給ふ。
止やめよ、財の争ひ、
更に高き彼方の路へ
一体となりて行かん。


(感想)
 『君死にたまふことなかれ』『山の動く日きたる』、大逆罪12名に捧げた詩などなど・・・心から感動する。同意する。断固支持する。今でも私の魂を震わせる。
 1927年の『祖国大日本帝国と統治者天皇陛下を讃える歌』頃からの彼女には心の底から失望する。絶望する。軽蔑する。情けない。言い訳は聞きたくない、ただただ罵倒したい。賀川豊彦といい、共産党転向大量幹部といい知識人は戦前戦後もこんなのばっかりだ。
以上

詩『搾り殺すためには搾り殺す稽古を』田木繁 プロレタリア詩集

詩『搾り殺すためには搾り殺す稽古を』田木繁 プロレタリア詩集


『搾り殺×すためには搾り殺×す稽古を』

「有力なる外敵なーの無法極まる主張に対し、決然として我等が国際正義の戦端が開かれた。——こう云う想定の下に愈々今朝より世界未曾有の国家総動員演習が行われる」(六月二十四日大阪朝日)
「これからの戦争はただに戦場に於ける戦争だけではありません。国内に於ける戦争が伴うのであります。国内経済諸機関の共力なくしては決して我々は勝つことができないのであります。この点に関しこのたびの演習はまことに重大な意義を有するのであれます」(宇佐美長官の訓話より)

搾り殺×すためには搾り殺×す稽古を
突き殺×すためには突き殺×す稽古を
やってみねばならぬ
工場の中では俺(おい)らは機械にくくりつけられてあり
機械が廻転し
俺(おい)らが廻転し
俺(おい)らは引きずりまわされ
眼をまわされ
工場の門前には機関銃×××が据えつけられてあり
その砲(つつ)さきは工場内に向けられてあり
突然一列の剣付鉄砲が喚声わあげ
突いてかかる真似をし
工×場の上空では飛行機が数台
爆弾をぶらさげて
同じところをゆきかえりする
こうなったからには
なんでもかでもひっぱり出されてみねばならぬ
装甲自動車が
最新式爆弾投下機が
小型巡洋艦が
ひっぱり出されてみねばならぬ
銃剣は突×きたてられてみねばならぬ
弾×丸はぶっぱなされてみねばならぬ
爆弾は投下××されてみねばならぬ
(田木繁 詩人・ドイツ文学者 和歌山生  1907年11月13日 - 1995年9月9日 この詩は1929年7月20日作『戦旗』同年9月号に発表)

詩『勲章』宮本喜久雄 プロレタリア詩集

詩『勲章』宮本喜久雄 プロレタリア詩集

『勲章』
それは眼に止まらない位の小さな新聞記事だ
戦死病歿した六十三人の兵隊に
勲章をくれる記事だ
直接交戦に戦死したものには一番いい勲章を
流弾にやられたものには少しいい勲章を
日射病やチブスで死んだものには安い勲章を呉れるのだ
六十三人の息子が死んだかわりに
百二十六人の両親が またその兄弟 息子が
勲章一つを貰うのだ。
勲章一個は何銭かで出来る
有難い年金で米の幾升かは買える
それが苦労して育てて来た息子の代価だ
夫をとられた妻の手にこっそり残ったものだ。
やがて無名戦死者の碑に花環が飾られるだろう
その前で小学生たちは
敵を呪う弔詞を教えこまれ、頭を下げさせられるだろう
雇われた楽隊は悲しみの曲を高々と吹奏するだろう
この時 これらの小さな魂に
駄菓子に似た勲章を貰うためには
このように死ななければならないと馬鹿共が教え込むだろう
( 『戦旗』1928年10月号に発表
宮本喜久雄 1926年に創刊された文学同人誌「驢馬(ろば)」の創刊メンバーの一人 中野重治、堀辰雄、窪川鶴次郎らと共に活動)

詩『赤兵の歌』江森盛弥 プロレタリア詩集

詩『赤兵の歌』江森盛弥 プロレタリア詩集
 
『赤兵の歌』
俺達は一度に声を挙げて集まって来たのだ、
反動××の軍旗をへし折って来たのだ、
真っ青になって口も利けなくなった師団長の
高慢なシャッポを蹴飛ばして来たのだ。
俺達は目まいのしそうなビルディングの足場から下りて来たのだ。
俺達は街の鋪道から───
地下工事の泥水の穴の中からはい出して来たのだ。
俺達は機関車の胴の中から
煤だらけの顔をしてやって来たのだ。
俺達はボイラーの前からスコップを投棄てて来た。
俺達は「就業中面会謝絶」の工場から、
屋根までガタガタ呻らせる動力を止めて来たのだ。
俺達は飢餓の中から
俺達は軒の下から
俺達は寒気の中から
一度に声を挙げて集まって来たのだ!

さア、時が来たんだ!
素晴らしい生活が始まるんだ!
もう昨日の惨めな俺じゃないぞ。
昨日の俺じゃないぞ。
いいか、いいか、いいか!
しっかりやれ!

クレムリンへ向ってブッ放された、
最初の一発!
疾風のように、広場を横切って走った、
最初の赤×旗!
───さア! 合図だ!
心の底に蓄積されていた全ての欝憤、
復讐と、怒りと、憎悪を、
爆発させろ!

俺達の生きた肉をムシャムシャ喰った奴等。
勲章とシルクハットの反動××共。
泥棒の分前を、
気に入りの片隅で楽しんでた奴等、
あの忌々いまいましい「満足してた」奴等を、
倒×してしまえ!
国境の外へ押し出せ。
プロレタリヤの祖国を
母を妹を子供達を、老人達を
此の革命××で
守れ!

資本家が、地主が、貴族が、坊主が、
俺達の首っ玉を引きずって
吹雪の、戦線に追いやったのではないぞ、
俺達の雨脚は雪の中で石のように凍っているのに、
レーニンは自動車で並木道を滑って行く、
───割が悪いと、ブツブツ云う奴は恥じろ!
ああ! 一人ぽっちだった俺、
失業と餓死の脅怖におびえた眼で、
入口の守衛の顔をオズオズ見ながら
牢屋のような鉄の格子の窓の中で、
働いて居た俺、ボロボロの青服の俺、
投捨てられたように助けのない者だと思っていた俺。
だが、今は知っている!
今は知っているぞ! 俺は唯の一人なのではない!
俺はプロレタリヤだ!
レーニンは俺の足で、俺は彼の腕なのだ。
俺はパリのコミュンの時から生きていた。
そして地球と一緒に、
太陽と一緒に、
いつまでも生きて行くだろう!
(1928年7月『労農詩集』に発表 
江森盛弥 小石川生1903.8.18~1960.4.5
 著書詩集「わたしは風に向って歌う」)

詩『一女工より』狭間二郎 プロレタリア詩集

詩『一女工より』狭間二郎
 プロレタリア詩集


『一女工より』

くやしい事もつらいことも破れかぶれの小唄にまぎらして
 来た娘さん達
そうだ おい等はみんな血も肉も力も
最後にたった一つ残った燃えつくような復讐までも
機械の中につぎ込んでくたばってゆくんだ
おい等がくたばると次はおい等の娘等だ

おお娘さん達よ
二十年前は俺もあんた達のような若い娘っこだった
少し位のつらさはがまんが出来たんだ
「いつまで続くものかよ」と思って働いた
(その頃の俺に何で病気のことなんか心配する事があった
 ろう それどころかわれ等の貧苦なことさえも)
それよか工場の片隅の歌の方が身にしみたもんだ
十二時間が十六時間だって夢中に働らいたんだ
何と言うこったろう?
(それが少しでも俺達のためになったのか?)
だが だが その頃の俺は
丈夫な小娘だったんだ
正直な小娘だったんだ

俺のそばには今の俺のようなおばさんが
むっつりむっつり濡れ砂で鋳型を作っていた
そんなおばさんが何人も病気にかかった
そんなおばさんが何人もおっ死んだ

畜生っ 畜生っ

二十年、それから明日も、手も足もきかなくなっておっぽ
 り出されるまで
おい等濡れ砂をいじってるんだ
(今お前さん達をしぼっている機械 何処かの場末で兄弟
 達を片輪にして行く機械をおい等は作ってるんだ)
血と肉で はりさけるような心で
何人も何人もの命で

娘さん達よ
俺は紡績工場のあんた達のことは知らん
煙草工場のあんた達のことは知らん
だがそんなこたぁなんになるんだ
口髭を生やした畜生共ぁ何処にだっているんだ
おい等のことなんざぁ虫けら程にも思っていない それ所か
 おい等の血をしぼった保険金で終日ふんぞり返えってる
 女たらし共は何処にだっているんだ

からだ中がずきずき痛んで来る
冷っこい板の間で この心までヘトヘトになったからだは
 ねむれねんだ
明日か 明後日か 一月後か俺がくたばったら
奴等ぁすり切れた機械のかけらのように
見て見ぬ振りをしてくさるのだ
奴等ぁもっとはちきった若い妹達をひっぱって来るだろう
そうだ

「だがいつまで続くもんか?」
おお娘さん達よ
くたばる前に俺は何度だって叫んで見せるぞ
二十年前にはこっそり言った言葉を
あんた達みんなの前で
奴等のはなっ面に
これが死にかかっている俺からのかたみだ

笑えるものならにっこり笑って呉れ
この俺が冷えた板の間で一人笑いしているように
(詩人・画家の狭間二郎
1903(明治36)年1月29日宮城県栗原郡に生まれる、没年1983年2月21日 
この詩は1928年『戦旗』11月号に発表
 本名菅原芳助、亡くなった俳優菅原文太さんの父親)

菅原文太さん反戦アピール「弾はまだ一発残っとるがよ」

2014年11月 沖縄知事選
(菅原文太さん反戦アピール)
 プロでない私が言うんだから、あてになるのかならないのかは分かりませんけど、政治の役割はふたつあります。ひとつは、国民を飢えさせないこと、安全な食べ物(放射能汚染はだめだ!)を食べさせること。もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと!
  私が小学校の頃、戦国(軍国)少年でした。小学校、なんでゲートルを巻いて、戦闘帽を被って、竹槍持たされたのか、今振り返ると、本当に笑止千万です。もう二度と、ああいう経験は子どもたちに、子どもたちだけじゃない、大学生も雨のなかを、大勢の将来大事な大学生が戦地へ運ばれて、半数が帰ってこなかった。

  沖縄の風土も、本土の風土も、海も山も空気も風も、すべて国家のものではありません。 そこに住んでいる人たちのものです。 辺野古もしかり!
勝手に他国へ売り飛ばさないでくれ。

  まあそうは言っても、アメリカにも、良心厚い人々はいます。中国にもいる。韓国にもいる。その良心ある人々は、国が違え、同じ人間だ。 みな、手を結び合おうよ。

「弾はまだ一発残っとるがよ」

 

詩『独楽を売る老人に』金井新作 プロレタリア詩集

詩『独楽(こま)を売る老人に』
金井新作
 プロレタリア詩集

『独楽を売る老人に』
1

仲間よ!
今日もあなたは電柱によりかかって呆然としていた
虚空を見つめて何事かぶつぶつと呟いていた
(白昼、街には砂埃りが立ち、
  雲間を漏れる日光はぎらぎらと大道を射た。)
おお、あなたのうちのめされた姿!
白髪まじりの頭髪はぼうぼうと伸びて埃りをあび、
油じみた色目も分からぬ袷の胸をはだけて
赤黒くひからびた皮膚を露出していた
肋骨もぐりぐり浮き出ていた。

三年前!
あれからあなたはどうして生きて来たのだろう。

箱の中の独楽(こま)!
三年前から入れたままかと思われる程
塗りがはげて古ぼけた一銭の独楽!
あなたは誰かがそのブリキの独楽を買うと
思っているのだ
ろうか
あなたのそばには立派な玩具屋がある
そこには都会人に気に入りそうな玩具が山と
積まれているで
はないか

それにしても貴方の前を一日に何万の人間が
通ると言うの

老い疲れたあなたに依然としてブリキの独楽を
売らせて
おこうと言うのか

2

兄弟! 私はあなたに近づいた。
私は僅かばかりしきゃない金の中から五十銭銀貨を
二枚と
り出した
あなたは客が来たのに気がついて身を起した。
何事か分からぬことを口ごもりながらあわてて独楽を差し出し
 た。
私は黙って銀貨をその独楽の箱へ入れた。
あなたはその新しい銀の輝きを見ると
始めて瞳を大きく見開いて
(それは思いもかけない事だが、黒く清らかだった)
驚きと不審の表情をあらわに示しながら
両手をぶるぶる振るわせて私に叫んだ。
——えッ!

おお、その表情! その叫び! 
私の心はうち貫かれた。
涙がこみあげてきた。
何か語ろうとしながら昂奮と恥ずかしさのために
あわてて
しまって
急ぎ足にそこを立去った。
背中にあなたの視線を感じながら。

3

兄弟! 許して呉れ!
あなたの自尊心は傷つけられたに違いない。
その自尊心故に私はあなたを愛したのに。
三年前、はじめてあなたを板囲いの下に見た時、
あなたの独楽を買わなかったことを私は恥じた。
三年後の今、あなたに金を与えたことを
私は恥じる。

だが友よ!
あれ以来あなたは私のものになったのだ。
そして今、あなたの疲れ切った姿を見て
そのまま通りすぎるに耐えなかったのだ。
やがていつか社会は革(あらた)められるだろう
その時こそあなたのような敗残者はいなくなるかも
知れな
い。
だが今、この時、
私はあなたに無関心でいることが
出来なかったのだ。

天にも地にも只独り、実に寂寥の極みにあるかと
見えるあ
なたの心が
ひしひしと私に伝わってきた。
金ではない、友よ!
私はこの心を差し出したのだ。真の仲間として。
(金井新作1904.12.10~1978.9.21 静岡沼津生まれ
 1929年発行の『金井新作詩集』は発禁処分を受けた)

詩『私たちの望み』 橋本すみ プロレタリア詩集(1927年)

詩『私たちの望み』 橋本すみ
 プロレタリア詩集(1927年)

『私たちの望み』
あなたが何かいおうとする
私達がマジメにそれを聞こうとする
それは私達の聞きたがっていることです
だのに 誰かが大きな手で あなたの口を塞いで
しまっ
た!

私たちは書物を読みだした
しかし 私たちには何も読めはしなかった
××ばかり
私たちは知りたがっていることを 知ることが
できない

私たちは本屋に書物を買いにいく
店員が云うのです
あの書物はお金も払わずに 一冊残らず
持って行かれました

私たちは芝居を見に行った
時々役者は舞台の上で黙って了った
それは言葉のない身振りだけだ
その身振りも何時の間にか動かなくなる
この芝居は ページの抜けた本のように
何が何だか サッパリわかりませぬ
面白そうな芝居だが

私たちは集まっていた 私たちは
何(どう)したら私たちを幸福に出来るかを
相談していた
誰でもが幸福になることを望んでいるからです
 だのに
大きなサーベルが
そんな私たちをめった やたらに 追い払う

私たちは知りたい!
私たちは読みたい!
私たちは見たい!
私たちは集まって相談したい!
───私たちの望みだ! みんなの望みだ!
だのに それが出来ない
これは何うしたことか

狼のようなガムシャラがへんな力でそれを
禁じているからで

私たちは禁じられたままではいられなくなって来た
みんなよ!
私たちの力をあわせよう!
あわされた力は
狼どもを払いのける!
(『辻馬車』1927年8月号に橋本スミ名で発表)

詩『工場歌と小唄』小野十三郎 プロレタリア詩集(1929年)

東京モスリン亀戸工場争議の絵葉書(1929年頃)

詩『工場歌と小唄』小野十三郎 プロレタリア詩集(1929年)

『工場歌と小唄』
   此処よ朝夕   おだやかに
 塵の巷を    よそにして 
 事業の栄    永久に
 希望の光    照るところ
  (東京モスリン亀戸工場歌の一節)

歌いたいでしょう
みんなで声を合わせて歌ってみたいでしょう
お歌いなさい
しかしほんとうに自分の胸をうつような言い歌をもたない
 あなたに
どんな歌が残っていましょう
お雇い文学士の作曲した工場歌
魔睡剤のようなききめのある涙っぽい小唄
そしてそのほかにどんな歌が

あなたの工場の
否! あいつらの工場の
あいつらの階級の 資本の 国家の
あらゆる貪欲な理想を表象する歌が
そこにあるのです

胃腸をこわし 結核を病み
蒼白く病的に肥え太り ゲッソリと痩せ衰えいくらか安白粉
 をべたべたと塗り付けても
眼のフチの黒い隅が消えなくなるまで
感情が日増しにすさみ
意欲が再び眼醒めることのない深い深い眠りにつくまで
泥のような永久の物憂さと焦燥の中で
あなたを最後まで優しく涙っぽく愛撫してくれる数々の小
 唄がそこにあるのです

私は聞きました

始業の汽笛が鳴り響くとき
あなたたちの一人が
まるで十歳の少女のようなくったくのない明るさで
工場歌の一節を声高に歌っていたのを

また灯の消えた夜の町や
身の丈の三倍もある煉瓦塀の向こう側で
あなたたちが口吟(くちずさ)む
あの小唄の低い音色にも耳を傾けました

私は見た
そこに!
あいつらがあなたにほどこした目隠しを足かせを
あいつらがあなたに与えた宿命を
あなたたちを二重の鎖で珠数つなぎにする
あいつらの権力、法律、義務、正義を
あいつらの宗教、教育、文化、理想を
そして私は見た
それらによってあいつらの搾取がいかに巧みに行われ
いかにすべてはお目出度くいっていたかを

も一度歌いますか
も一度声を合わせてあなたたち歌いますか
お雇い文学士の作曲した工場歌
魔睡剤のような効き目のある涙っぽい小唄を
 (1929年平凡社刊『新興文学全集』第十巻)

詩『組合』重政順平 プロレタリア詩集(1929年)

組合報「俺達の評議会を奪還せよ!」 東京合同労組(1928年7月22日)

詩『組合』重政順平 プロレタリア詩集(1929年)

『組合』

湿った長屋のひと隅に薄日もなく
だが ヒョロヒョロに育つ雑草でない俺達の
苦痛に輝く表象 筆太く
東京合同労働組合城西支部。

煙という煙を吐く煙突の下
戦いの友よ 語ろう
ブスブスいぶる口火を提げて
飛鳥の如く 俺達は革命の点火者。

ひと度は
血にじみ 威力を城西に翻した
我等の赤旗はズタズタに引き裂かれたれど
破れればこそ 我等が約束せる南葛魂(なんかつたましい)。

おお 旗は俺達の胸を縛って再び捲き上げられた。

闘士の胸に脈太い鼓動は打ち
森深く 警戒の眼をくぐって
労働者の胸を打つ計画は
工場という工場に延ばされる。

かつてその工場からは
今 獄舎に歯がみする前衛の叫びを聞いた。

三・一五を記憶に忘れぬその労働者達よ
君——俺達の腕こそ
前衛奪還の方面に
奴らの鬼ッ面を突き出せ!

都の西部に密々と
労働の威力を振う仲間たちの
脈打つ心臓 俺達の組合
鼓動は組合の威力を鳴らす。  
 赤旗は再び翻った。城西支部は再建された。一昨年の秋、千代田毛織の争議に燃え立った旧城西の赤旗が悲壮にも破られて約一年、俺達は最後まで負けはしないのだ。
(重政順平(1909.2.25~1985.1.23)『戦旗』1929年5月号に発表)

詩『落ちぬ血痕』 根岸正吉(プロレタリア詩集)

おい経営者ども、資本家ども、
これからも何万人殺したら気が済むのか !
いい加減にしろよ ! おまえ ❢
 今でもはっきり目に浮かぶ。大久保製壜製壜課3号機ペケコンベアーの水の中に
どうしてこんな大きな赤い布があるのかと思った瞬間、
すぐにそれがつぶされた仲間の血だとわかったあの時の驚愕は死ぬまで忘れないだろう


  全国の労働現場で殺される労働者はあとを絶たない。建築現場で墜落する仲間たち
過労で死に追いやられる仲間も多い。うつ病で悶え苦しむ人々。
みな苦しかったろうな、痛かったろうな。家族や友人は悲しかったろうな。
1916年11月の根岸正吉の詩ったその血痕は今なお決して落ちないのだ。
職場から過労死をなくせ !
労災事故をなくせ !
長時間労働をなくせ !
サービス残業をなくせ!
熱中症をなくせ!
パワハラをなくせ ! 
おい経営者ども、資本家ども、これからも何万人殺したら気が済むのか !
いい加減にしろよ ! おまえ ❢

詩『落ちぬ血痕』  根岸正吉(プロレタリア詩集)

『落ちぬ血痕』
ヒ──ッ アレ──ッ
女の悲鳴驚愕の叫び
機械は停まった。集える人は垣をなす。
されど されど
死せる工女がなぜ生きよう。

髪をシャフトに巻かれて振り廻された。
若い工女の死骸こそ
目もあてられぬ惨憺さであった。
骨は砕け肉は崩れ皮は破れて血汐は飛ぶ。

飛んだ血汐があたりに散った。
彼女の機台に織られた毛布の上にも
異様の形をなした赤い血痕が残された。

ふと見ると。
隣の機台にも
前のにも、後のにも、ずっと離れた遠方のにも
どれにもどれにも同じ形の血痕が見える。

それのみか
違った工場の違った台にもそれがある。

不思議な事には其血が落ちない。
ふいてもふいても残る
如何なる薬品如何なる技術も其血は抜けない。

その工場は軍用毛布を一手に受けて
暴利を貪って居たのだが、
その血が残って一枚も納まらない。

その事あって丁度一年
同じ月の同じ日に会社の組織は変った。
けれども
白毛布には変らず赤い血がつく。
その血が落ちない。
(『新社会』1916年11月号にN正吉名で発表)