ああ与謝野晶子よ! 与謝野晶子よ! (1927年の『祖国大日帝国と統治者天皇陛下を讃える歌』)
『山の動く日きたる』与謝野晶子
山の動く日来る かく云へども人われを信ぜじ 山はしばらく眠りしのみ
その昔において 山は皆火に燃えて動きしものを されど、そは信ぜずともよし
人よ、ああ、ただこれを信ぜよ すべて眠りし女(おなご)今ぞ目覚めて動くなる
与謝野晶子は、1904年(明治37年)9月、『君死にたまふことなかれ』を『明星』に発表。1911年(明治44年)には史上初の女性文芸誌『青鞜』創刊号に有名な『山の動く日きたる』で始まる詩を寄稿した。
『君死にたまふことなかれ』(1904年9月旅順口包囲軍の中に在る弟を歎きて)
ああおとうとよ、君を泣く 君死にたまふことなかれ
末に生まれし君なれば 親のなさけは まさりしも
親は刃やいばをにぎらせて 人を殺せと をしへ教えしや
人を殺して死ねよとて 二十四までを そだてしや
堺の街の あきびとの 旧家をほこる あるじにて
親の名を継ぐ君なれば 君死にたまふことなかれ
旅順の城はほろぶとも ほろびずとても何事ぞ
君は知らじな、あきびとの 家のおきてに無かりけり
君死にたまふことなかれ、 すめらみこと皇尊は、戦ひに
おほみづからは出でまさね かたみに人の血を流し
獣の道に死ねよとは、 死ぬるを人のほまれとは、
大みこころの深ければ もとよりいかで思おぼされむ
ああおとうとよ、戦ひに 君死にたまふことなかれ
すぎにし秋を父ぎみに おくれたまへる母ぎみは、
なげきの中に いたましく わが子を召され、家を守もり、
安しときける大御代も 母のしら髪がは まさりぬる。
暖簾のれんのかげに伏して泣く あえかにわかき新妻を
君わするるや、思へるや 十月とつきも添はで わかれたる
少女をとめごころを思ひみよ この世ひとりの君ならで
ああまた誰をたのむべき 君死にたまふことなかれ。
与謝野晶子1904年(明治37年)9月のこの『君死にたまふことなかれ』に対して、文芸批評家の大町桂月は「家が大事也、妻が大事也、国は亡びてもよし、商人は戦ふべき義務なしといふは、余りに大胆すぐる言葉」と批判した。晶子は、「桂月様たいさう危険なる思想と仰せられ候へど、当節のやうに死ねよ死ねよと申し候こと、またなにごとにも忠君愛国の文字や、畏おほき教育御勅語などを引きて論ずることの流行は、この方かへつて危険と申すものに候はずや」と非難し、「歌はまことの心を歌うもの」と桂月に真っ向から反論した。
大逆事件では秋水ら死刑になった十二人に「産屋なる わが枕辺に 白く立つ 大逆囚の 十二の棺」という歌を1911年(明治44年)3月7日に発表している。刑死者の一人大石誠之助は『明星』の同人で関わりも深く、また女性でただ一人死刑となった管野スガは未決在監中に弁護士・平出修に晶子の歌集の差し入れを頼んでいる。1915年(大正4年)、晶子は婦人参政権を唱え、『婦選の歌』を作っている。この歌は山田耕筰作曲で第一回全日本婦選大会において披露された。
しかし、しかし、1927年には天皇賛歌に至る。
********************************************
〔無題〕与謝野晶子(1927年の『祖国大日本帝国と統治者天皇陛下を讃える歌』)
粛として静まり、
皎として清らかなる
昭和二年の正月、
門に松飾無く、
国旗には黒き布を附く。
人は先帝の喪に服して
涙未いまだ乾かざれども、
厚氷その片端の解くる如く
心は既に新しき御代の春に和らぐ
初日うららかなる下に、
草莽の貧女われすらも
襟正し、胸躍らせて読むは、
今上陛下朝見第一日の御勅語。
×
世は変る、変る、
新しく健やかに変る、
大きく光りて変る。
世は変る、変る、
偏すること無く変る、
愛と正義の中に変る。
×
跪づき、諸手さし延べ、我れも言祝ぐ、
新しき御代の光は国の内外うちとに。
×
祖宗宏遠の遺徳、
世界博大の新智を
御身一つに集めさせ給ひ、
仁慈にして英明、
威容巍巍と若やかに、
天つ日を受けて光らせ給ふ陛下、
ああ地は広けれども、何処いづこぞや、
今、かゝる聖天子のましますは。
我等幸ひに東に生れ、
物更に改まる昭和の御代に遇ふ。
世界は如何に動くべき、
国民くにたみは何を望める、
畏きかな、忝なきかな、
斯かる事、陛下ぞ先づ知ろしめす。
×
我等は陛下の赤子せきし、
唯だ陛下の尊を知り、
唯だ陛下の徳を学び、
唯だ陛下の御心みこゝろに集まる。
陛下は地上の太陽、
唯だ光もて被おほひ給ふ、
唯だ育み給ふ、
唯だ我等と共に笑み給ふ。
×
我等は日本人、
国は小なれども
自ら之れを小とせず、
早く世界を容いるるに慣れたれば。
我等は日本人、
生生せいせいとして常に春なり、
まして今、
華やかに若き陛下まします。
×
争ひは無し、今日の心に、
事に勤労いそしむ者は
皆自らの力を楽み、
勝たんとしつる者は
内なる野人の心を恥ぢ、
物に乏しき者は
自らの怠りを責め、
足る者は他に分ち、
強きは救はんことを思ふ。
あはれ清し、正月元日、
争ひは無し、今日の心に。
×
眠りつるは覚めよ、
怠たゆみつるは引き緊まれ、
乱れつるは正せ、
逸それつるは本に復かへれ。
他ひとの国には他ひとの振、
己が国には己が振。
改まるべき日は来る、
夜よは明けんとす、東ひんがしに。
×
我等が行くべき方は
陛下今指さし給ふ。
止やめよ、財の争ひ、
更に高き彼方の路へ
一体となりて行かん。
(感想)
『君死にたまふことなかれ』『山の動く日きたる』、大逆罪12名に捧げた詩などなど・・・心から感動する。同意する。断固支持する。今でも私の魂を震わせる。
1927年の『祖国大日本帝国と統治者天皇陛下を讃える歌』頃からの彼女には心の底から失望する。絶望する。軽蔑する。情けない。言い訳は聞きたくない、ただただ罵倒したい。賀川豊彦といい、共産党転向大量幹部といい知識人は戦前戦後もこんなのばっかりだ。
以上



